東京高等裁判所 昭和40年(う)884号 判決 1967年6月26日
被告人 木村延佳
主文
原判決を破棄する。
被告人を原判示罪となるべき事実第一及び第二の各罪につき、それぞれ無期懲役に処する。
押収している金メツキ側腕時計ケース一個(当庁昭和四〇年押第三一三号の二一)及びクロームメツキ側腕時計一個(前同号の二二)は、いずれも被害者Aの相続人に、押収してある黒ビニール編み手提袋一個(前同号の二八)、黄色紙袋入新聞紙に包まれた弁当箱、箸一包(前同号の二九)、ハンカチーフ一枚(前同号の三〇)ちり紙一七枚(前同号の三一)、領収書一枚(前同号の三二)、爪を包んだ紙包一包(前同号の三三)、黒皮楕円形がま口一個(前同号の三四)及び婦人物折畳傘(赤い横じまのあるもの)一本(前同号の三五)は、いずれも被害者Bの相続人に、それぞれ還付する。
理由
本件控訴の趣意は、被告人本人作成名義及び弁護人堀内稔久作成名義の各控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、いずれもここにこれを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点の論旨について
所論は、原審における鑑定人湯浅修一作成の本件犯行当時の被告人の精神状態及び現在の被告人の精神状態に関する鑑定書中、主文として、「一、被告人は、知能的には正常の下位乃至境界線級、性格的には情性稀薄、爆発性、意思薄弱性傾向を主徴とする異常性格者(精神病質者)であり、現在……(中略)……、特に狭義の精神病であるような症状はない。二、犯行時も右異常性格(精神病質)以外に特に付加すべき異常状態があつたという確証はない」と鑑定されている点をとらえ、右鑑定主文に至つた理由中に、矛盾乃至狭義の精神病、精神病質の徴候が認め得るのに、原審裁判所は十分な審理を尽していないと論難する。
しかしながら、右鑑定書中の理由の項を詳細に検討しても、所論の如き矛盾の認められないのは勿論、非論理的、非合理的な点は認められず、又被告人に所論の如き狭義の精神病、精神病質の徴候ありとは認められない。このことは、当審公判廷における右鑑定人湯浅修一の供述を参酌すれば一層明確である。即ち、右鑑定書の記載及び同鑑定人の供述によれば、被告人はその全生活史を通じて、抑制力乏しく、持続性を欠き、計画性もなく、刹那的な生活態度であつて、典型的な意思薄弱者であるうえ、爆発性、情性稀薄性の性格偏倚を合併していることが認められ、これらの生活態度及び特性は、原判決が冒頭において、被告人の略歴及び本件犯行に至る経緯として摘示した情状及び罪となるべき事実として摘示した第一、第二の各犯行の動機、経緯、態様において極めて鮮明に現われているのである(特に前記湯浅修一の当審公判廷における供述によれば、爆発性の主な特徴は、些細なきつかけで爆発的な行動に出ることであり、それは生活環境に左右されることが多く、環境が自己の意のままになつていないときには、この爆発性が出るというのであるから、原判決の摘示した本件二回にわたる犯行当時の被告人の悲惨な生活環境を勘案し、被告人が被害者A及びBに対し強姦の目的をもつて襲いかかつたときの具体的行動に徴すれば、被告人の爆発性の性格は最も顕著であるといわなければならない)。これを要するに、原審裁判所が右鑑定書の理由及び主文により、被告人は本件各犯行当時、所論の如き狭義の精神病、精神病質の徴候はなかつたものと認め、これを前提として原判示の認定をした措置には何ら審理不尽の違法はない。所論が、記録上診断できるとして述べる被告人の性格なるものは、すべて的確な証拠に基づかないものであるか、或は単なる推測に基づくものと認めるのほかはない。論旨は採用の限りでない。
弁護人の控訴趣意第二点の論旨について
原判決は、原判示第一のAに対する強姦等の犯行について、「被告人が桐生市立南中学校附近交差点において強姦の決意をしたうえ、同女を欺いて本件犯行現場に計画的に連れ込んだものである」と認定し、原判示第二のBに対する強姦等の犯行について、「被告人が同女を人気のない場所に連れ出して強姦し、そのうえで金を借りようと計画したものである」と認定していること、右認定については、原審公判廷冒頭の認否の段階において被告人が全面的に犯行を認めていること、被告人の各捜査官に対する供述調書が主なる証拠とされていること、しかるに被告人は、原審鑑定人湯浅修一の問診に対し計画的犯行である旨を否認する回答をしていることは、いずれも所論の指摘するとおりである。
ところで、前記各捜査官に対する供述調書中の被告人の供述内容を仔細に検討するのに、被告人が捜査官の誘導乃至暗示によつて真意に副わない供述をした如き事跡はいささかも認められないのに対し、前記鑑定人の問診に対する被告人の供述内容が不自然、不合理且つ支離滅裂であつて到底信用できないものであることは一見明瞭であるから、原審裁判所が所論の如く、被告人に対する発問或は弁護人にこの点につき意見を求めることなく、他の関係証拠とあいまち前記各犯行がいずれも計画的犯行と認定しているからといつて、審理不尽を主張し得べき限りでなく、又原判示第一、第二のA、Bに対する殺害の動機、方法について原判決の認定したところが所論の如く、前記鑑定人の問診に対する被告人の供述内容と相違しているからといつて、後者の供述内容が前同様信用できないものであることが一見明瞭である以上、前同様原審裁判所の措置をもつて審理不尽であると論難するのは当らない(なお所論は、理由不備を言つているが、理由不備とは、刑事訴訟法三七八条四号前段にいわゆる「判決に理由を附せざる場合」をいうものと解すべきところ、この場合は同法四四条一項、同法三三五条一項によつて要求される判決の理由を全然附さないか、又は一部分だけこれを欠く場合をいうことは明らかであり、しかるに、原判決には所論の如き理由不備の違法はいささかも認められないから、この点の論旨は採るに足りない)。
被告人本人の控訴趣意、弁護人の控訴趣意第三点、各量刑不当の論旨について
本件各強姦、強盗殺人、死体遺棄の犯行の動機、経緯、態様、犯行後の偽装工作等については、既に原判決が詳細に摘示しているところであつて(所論は、原判決の認定した偽装工作の点について事実誤認があるというが、採用できない)、特に各犯行の計画的である点、その手段、方法において大胆且つ残忍、人をして目を覆わせるものがある点等を併せ考察すれば、被告人の各犯行はまさに鬼畜の行為として、天人ともに許さない悪逆非道のものというべきである。そして各被害者の遺族の悲歎は言語に絶するものがあると推察される点、その社会的影響の甚大な点等を参酌すれば、原審裁判所が被告人に対し極刑をもつて処断した措置は十分納得できるところである。
ところで当審においても、本件が前記のとおり悪逆非道の犯行であり、原審において極刑をもつて処断した案件であるだけに、慎重に審議を重ねたところ、医師詫摩武元の鑑定の結果によるも、被告人に特に精神的異常は認められなかつたものの、当審公判廷における証人木村積善(被告人の兄)、木村ツヤ子(被告人の妻、本件後離婚した)、木村キヨ(右ツヤ子の母)の各供述、木村安造(被告人の従兄弟)、木村ツヤ子に対する各当審証人尋問調書と、記録中の関係証拠とを総合すれば、本件各犯行当時の被告人一家四名(昭和二八年八月生れと、同三一年一月生れの二女がある)の生活状況には所論指摘の如き経済的に極めて行詰つたものがあつたこと、この経済的苦境が被告人に絶えず精神的不安をもたらしていたこと、かかる経済的苦境に陥つた点については、前記木村積善はじめ縁者らの被告人一家に対する冷淡な態度が一原因であつたと認められないでもないこと、離婚したツヤ子においても、遠い将来における被告人の万一の帰来を期待していることなどが認められ、これらの家庭的環境及び既に指摘したとおり、被告人には法定の責任能力減軽事由なる精神状況は認められないまでも、同人が知能的には正常の下位乃至境界線級にあること、性格的にも前記のとおり若干の欠陥のあること並びに被告人より当審に宛て昭和四一年一月三一日付をもって提出され上申書中の、同人の切々たる悔悟の心境、その他所論の指摘する諸般の情状を慎重考量すれば、この際被告人に死一等を減じて処断することとしても、あながち刑政の本義に反するとも思料されない。結局被告人を死刑に処した原判決の措置は過重であるといわざるを得ない。論旨は理由がある。
よって、本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法三九七条、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に次のとおり裁判する。
原判決の適法に認定した罪となるべき事実中、原判示第一の所為のうち、強姦の点は刑法一七七条前段に、強盗殺人の点は同法二四〇条後段に、死体遺棄の点は同法一九〇条に、原判示第二の所為のうち、強姦の点は同法一七七条前段に、強盗殺人の点は同法二四〇条後段にそれぞれ該当する。ところで、被告人には原判決摘示の確定裁判があるので、右確定裁判を経た罪と前記第一の各罪とは刑法四五条後段の併合罪の関係にあるから、同法五〇条によつて未だ裁判を経ない右第一の各罪について更に処断することとする。しかして、前記第一及び第二の各罪はいずれも刑法四五条前段の併合罪の関係にあるので、同法一〇条によつて最も重い各強盗殺人罪の刑につき処断すべきところ、所定刑中いずれも無期懲役を選択し、被告人を原判示第一、第二の各罪につきそれぞれ無期懲役に処し、同法四六条二項により他の刑を科さない。なお、還付につき刑事訴訟法三四七条一項を、原審及び当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき同法一八一条一項但書を各適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅富士郎 石田一郎 金隆史)